細川の名が泣いている!〜政界毒まんじゅう・日本新党〜












民進党結党大会で ちょっとした「事件」がおこった。初代代表の岡田克也氏が華々しく新党を宣言中、そのお披露目たる新党名を、あろうことか「新進党」と読み違えたのだ。岡田克也氏が元・新進党議員だったとはいえ、住専問題をめぐっての国会委員会室占拠、牛歩術といった「対決野党」が当時の世論の支持を得られなかった 過去を蒸し返すような「事件」である。



さて、この新進党のパーソンは元首相・細川護煕氏の今風にいう「細川チルドレン」=日本新党出身者だった。衆院当選組は35名である。その 多数は 細川護煕氏がムーブメータであった「新党人気」気流に乗ったにすぎない薄っぺらな紙風船だったものの、新進党日本新党参加)を辞めた殿を追うチルドレンは というと皆無。細川新党の所属人数は たった5名のミニ政党になった。


さて、日本新党の ゆらぎが 国民の知る所となった出典は、1992年5月の雑誌『文藝春秋』である。編集長・白川浩二氏の勧めにより寄稿した『我が自由社会連合 構想』(細川護煕氏)は 同年参院選の国政に打って出る いわば広告文だった。そして、翌年の衆院選において 細川護煕氏の日本新党は それまで国会議員の俎上ですらなかった34名ものチルドレンを国政へ輩出する。



だが、2016年の国会を思うと日本新党の当時の華々しい「新党人気」とは裏腹に どうも「ネオコンの母」とも呼ぶべき残り香がある。現職の小池百合子氏、前原誠司氏、前職の山田宏氏、中田宏氏、みな「細川チルドレン」だ。


「細川チルドレン」は 公募型。それはそれで世襲制ではなく国民各層から幅広い人材を送る意味において 賞賛に値するし、各党も 本腰を入れて やるべきだろう。といっても、「政治家になりたい」苦労知らずの人材の かなりが偏りが激しいのも また事実である。 市長時代の中田宏氏の後援会長が市政・役所・市議会との汚職関係が週刊誌等に報じられている独占港湾企業「藤木」社長だった点も、「改革」の服をまとった旧態依然である事実を 私たちに提示してくれる。民進党、いや、自民党の行く先は「ネオコンの母」日本新党か。