【2012年問題】この国は疑似大統領の国になった









国民は『民維新党』を蚊帳の外に置くようだ。それは賢明であるが、与党の支持率も異常は異常だ。思い返すのは1月、甘利明 経済再生担当相が汚職をめぐって辞任し、その煽りから急落するのではないかと永田町が騒いだあげくに4.3パーセントの微増だった内閣支持率である。

共同通信社が1月30、31両日に実施した世論調査によると以下の結果となった。
 安倍内閣の支持率は53・7%で昨年12月の前回調査から4・3ポイント増。不支持率は35・3%だった。

 

平和安全法制に並ぶ一連の強引な国会審議、免許剥奪をチラつかせ民放各局を支配下に置く放送行政、これらの政治行動を総称して「家父長政治」と呼ぼう。



「家父長政治」で容易いのは いつの時代も きまってる。圧政だ。議院内閣制においては いささか ありえないステータスだが、「分権」なしの擬似大統領を演じる人物が内閣総理大臣となるからだ。1945年以降、民意の過半数によって新しく選出された内閣総理大臣は 2名しかいない。

自民党総裁は 5大派閥の「数合わせ」である。いってみれば旧ユーゴスラビア末期における常任幹部会議長(大統領職)の輪番制だった。党総裁選へ あたって党員が候補者選びに参加する 民意吸収のシステムこそ 具体化された歴史があるが、それも 1970年代になってのこと である。その名の地方予備選挙は一回キリだったが。
哀しいかな、わが国においては 職業政治家が旧ユーゴのような「折衝」(力関係)「カネ」(買収費用)「属性」(所属集団)の3つで 内閣総理大臣を脈々と選出していったわけだ。旧ユーゴは 公認化しただけ 自民党よりマシである。「コップの水」と言わざるをえない こういった仕組みは 民意度外視が極まるゆゆしき政治だろうが、他方で、「民意」一つが選出した2名の内閣総理大臣は、自治体における「首長」の外形であった。つまり、国レベルのステータスで呼ぶところの疑似大統領なのである。



アメリカは正式 大統領制をとった国だ。しかし、学者の9割が「憲法違反だ」とする法律を 上下両院に押し通したり、CBSに「免許剥奪」をチラつかせるような「家父長政治」は 到底みられない。どうしてか。それを理解するには、まず「行政府」(大統領)が法案を提出する権限がない等の「分権のあり方」を知るべきだ。
「行政府」には予算案を提出する権限もない。大統領が「議会」まで赴き おおまかな「全体図」を述べる。そして、議員一人ひとりに可決をお願いする政治日程が、一般教書演説だ。
日本で総裁や幹事長に値する政党ポストは党全国委員会代表であり、実力者の議会ポストでいうと下院議長、院内総務、歳出委員会委員長、といったところである。日本では政党のトップが行政府を率い、(選挙結果に準じ議会で過半数を超す)政党、ひいては議会を 思うがまみに率う。議会・議長は「会派離脱」が原則だ。つまり、アメリカは「行政府」と議会が対立するようもっていく「分権のあり方」だが、日本は 一体化する関係にあるのだ。


日本の議院内閣制をめぐってはイギリス議会も よく引き合いに出されるが、お門違い も ほどほど にしてほしい。第三党(「自由民主党」や「スコットランド国民党」)の地域属性を かいつまむ まで もない。キャメロン首相が「シリア空爆」を提案し、与党は賛成に回ったか。相当数が反対・棄権し イギリスの参戦を断念せざるをえなかったのだ。完全小選挙区制を戦い抜いた代議士としての矜持が そうさせるイギリスには「議会」が ある。




「家父長政治」が 進行中するわが国の政治光景は、輪番制崩壊後の旧ユーゴ・セルビア共和国の例から論じる類のものだ。民意の過半数をみずからの立ち位置、基盤と するポーズは 大統領制をとるアメリカ等の国々とは そう大差ないが、行政府・議会が一体化する議院内閣制において、与党議員のサラリーマン化が わが国に 疑似大統領を生誕させたのだ。