「女性活躍」じゃなく典型的「家父長政治」の国、その理由は?














一強多弱の「一強」とは 向かうところ「野党なし」の自民党だ。思い返すのは1月、甘利明 経済再生担当相が汚職をめぐって辞任し、その煽りを急落するのではないかと永田町が騒いだあげくに4.3パーセントの微増だった内閣支持率である。
共同通信社が1月30、31両日に実施した世論調査によると以下の結果となった。
 安倍内閣の支持率は53・7%で昨年12月の前回調査から4・3ポイント増。不支持率は35・3%だった。

 

一連の強引な国会審議、免許剥奪をチラつかせて民放各局を支配下に置く放送行政、これらの政治行動を総称して「家父長政治」と呼ぼう。



「家父長政治」では常に圧政だ。議院内閣制においては いささか ありえないステータスだが、「分権」なしの擬似大統領を演じるのが内閣総理大臣役の人物とイコールだからだ。1945年以降、民意の過半数によって新しく選出された内閣総理大臣は たったの2名しかいない。

内閣総理大臣を湯水のごとく生んだ自民党総裁は 5大派閥「数合わせ」であった。いってみれば旧ユーゴスラビア末期における常任幹部会議長(大統領職)の輪番制だった。総裁選にあたっての候補者選びに党員が参加する 民意吸収システムこそ制度化されたが、その地方予備選挙も1970年代の一回キリだった。

わが国においては 職業政治家が旧ユーゴのような「折衝」(力関係)「カネ」(買収費用)「属性」(所属集団)の3つをスタンダードに内閣総理大臣を生んできたわけだ。「コップの水」と言わざるをえない。こういった仕組みは 民意度外視が極まるゆゆしき政治だと思われるが、他方で、「民意」一つが選出した2名の内閣総理大臣は、自治体における「首長」の外形であった。つまり、国レベルのステータスで呼ぶところの疑似大統領なのである。



アメリカは 大統領制をとった国だ。しかし、学者の9割が「憲法違反だ」とする法律を 上下両院に押し通したり、CBSに「停波」をチラつかせるような「家父長政治」は 到底みられない。どうしてか。それを理解するには まず「行政府」(大統領)が法案を提出する権限がない等の「分権のあり方」を知るべきだ。
「行政府」には予算案を提出する権限もない。大統領が議会まで赴き おおまかな「全体図」を述べる。そして、議員一人ひとりに可決をお願いする政治日程が、一般教書演説だ。日本で総裁や幹事長に値する政党ポストは党全国委員会代表であり、実力者の議会ポストでいうと下院議長、院内総務、歳出委員会委員長、といったところだ。日本では政党のトップが行政府を率い、(議会で過半数を超す)政党、ひいては議会を 思うがまみに率う。議会・議長は「会派離脱」が原則だから「立法府の権力構造」は常に政党依存となる。


つまり、アメリカは「行政府」と議会が対立するようもっていく「分権のあり方」だが、日本は 一体化する関係にあるのだ。日本の議院内閣制をめぐってはイギリス議会も よく引き合いに出されるが、お門違い も ほどほど にしてほしい。
キャメロン首相が「シリア空爆」を提案し、与党は賛成に回ったか。相当数が反対・棄権し イギリスの参戦を断念せざるをえなかったのだ。完全小選挙区制を戦い抜いた代議士としての矜持が そうさせるイギリスには「議会」が ある。




「家父長政治」が 進行中するわが国の政治光景は、輪番制崩壊後の旧ユーゴスラビアセルビア共和国の例から論じる類のものだ。民意の過半数をみずからの立ち位置、礎とすることは 大統領制をとるアメリカ等の国々とは そう大差ないが、行政府・議会が一体化する議院内閣制において、与党議員の党職員化が わが国に疑似大統領を生誕させたのだ。