「看板」を付け替れば済む話だった!世界の政党から


民主党の「看板」を 付け替えるべきか、否そのままにすべきかー

ごく一部の議員の間でヒートアップ中だ。民主党代表の岡田克也氏が 及び腰であるのに対し、ナンバー2にして同党幹事長の枝野幸男氏は「検討の余地はある」と話す。この身内論争は、下っ端を まとめるべき党中央のメンバーに おいても、まだまだ まだまだ続きそう。




「党名」に ついていえば劣勢の党が変更するパターンが占めている。先般、「次世代の党」が「日本の こころを大切にする党」へ名称を一新したが、この過程で 党を離れた議員がいた。所属議員は 法定を下回り、5名から4名に。町内会の役員だ。
「にんげん、中身が大切です」とは よくいう。しかし、「看板」ひとつで 組織に さよならするセンセイ方も、さよならされてしまう組織も また、この永田町には存在する。リアルな姿だ。ほかには、「保守党」が、民主党熊谷弘議員を党首に迎え、「保守新党」と名を変え2003年の総選挙を 戦った例がある。惨敗後、自民党へ合流せざるをえなかった党末期は 一定の年代以降の方は ご存じだろう。





韓国大統領は パク クネ大統領だ。彼女を支える議会与党の名は「セヌリ党」である。この党、旧「ハンナラ党」時代、解党の危機に陥った ことがあった。昨今の民主党のようだ。幹部の構造的汚職によって有権者から もっぱら見放されていた。各メディア支持率は議会野党・民主統合党(のち、新政治民主連合へ変更)へ大差を つけられ、組織がレームダック化していた。ところが、2012年、党名を「ハンナラ」(ひとつの国)から、「セヌリ」(新しい世」へ変更する ことを 発表。日本のメディアは 報じないが、すべては そこからだった。「セヌリ党」は地方選で怒涛の勢いを示す。翌年1月、パク クネ大統領 選出へ つながった。




例をあげればキリがない。先日、フランスの地域圏選のニュースは「排外主義」を掲げる党が 主役だったと思う。第一回投票で首位となり、第二回投票においても その勢いを持続させ、あわよくば結党以来初の議長ポストを手にするか。そんなこと ばかりにスポットが 当った。しかし、選挙結果の主役は 「排外主義」ではなく、別キャストだった。いうまでもなく、議会野党・共和党が最多の7地域圏を征したことだ。その共和党を率いる党首が、短身マッチョのサルコジ氏である。この男、前回大統領選でオランド大統領に敗れ、再選を果たせなかったあげく、リビアの違法資金提供問題で「聴取」をうけた、曰く付きの前大統領なのだ。なぜ、そんな 曰く付きの党が、ことも あろうのに、フランス有権者の票を集めているのか。やはり「変更」にある。2015年、民衆運動連合から共和党へ「党名」を 変えるやいなや、またたくまに支持率が 上昇していったのだ。






さて、日本の民主党だ。諸外国の例が明らかにするのは、有権者の支持を失った党が 「党名変更」し、政界の真ん中へカムバックしてきた例だ。もっとも、より詳しい観点を披露すれば、前任の海江田万里氏を含め、岡田克也氏や枝野幸男氏は 同党の県連組織、支部組織、または連合組織の「まとまり」にこそ、 最大の政治コストを かけているように思える。内向き なのだ。彼らにとり日本国民の生活、暮らしは どうだってよいのだろう。 
ズバリ、現執行部の岡田克也枝野幸男細野豪志のラインが 反国民案件(「TPP」「消費税」「原発」「辺野古」)の号令を自らくだし、その実現は 、 というと 自民党へアシストした、のであった。とすると、「平和安全法制」の成立は党内コンセンサスを得ないとしても、少なくとも、「秘密保護法」は 内心賛成だったのだろう。号令をくだしたのは 時の民主党自身(上記の面々)だったからである。「看板」を 付け替えない執行部の異質にして頑なテーゼだが、根拠がある。それは、むしろ、 諸外国の例のごとく議会での多数派形成ではなく、預貯金100億円を落選組に こっそり配りながら 細々と「野党第1党の役割」を 担うこと に、彼らの真意があるのではないか。それとも、ポスターを貼り替える費用かな。